在学中 ・「教育現場」での問題
———「溝」というもの
「教育現場」という言葉にまず戸惑いを感じる。
ビデオのレイチェルは当時23歳。1972年生まれ。僕は1973年生まれ、現在26歳。大学教育の現場ならよく知っているが、高等学校や中学校となるとそこでの今の問題をどう思い浮かべてどう扱ったらいいのか非常に苦しむ。僕と、この「教育現場」には大きな溝があるように感じる。
僕が通った高校は、名古屋を含めない尾張随一の進学校だった。穏和な性格の子が集まった、いわば「問題」とは無縁の、「できる子」の学校である。僕の在学していた間で大きな問題といえば、僕自身が精神上苦しんでいて高校2年の今頃、2000円程度の所持金と何冊かの本を持って家と学校を捨て、全く誰一人とも連絡を付けずに、姿をくらましていた「事件」だろうか。名古屋の町を放浪し、野宿していた。
高3のときは、京都大学理学部を目指し勉強したが、その年受からなかったので浪人した。そこに何かしらの無理があって、神経衰弱になって、精神科への入院も経験した。幻覚・幻聴と精神の不安定さに苦しんでいたが、幻覚と気付かず医者が僕を「病気」と認めたのは、1993年4月の立命館大学入学式の翌日である。入院をしたのは僕が自殺を企てたあと、1993年の夏。93年後期には休学届けを出し95年4月から復学した。
結局、僕は高校卒業から大学に通うまで3年の月日を要し、大学に通い始めてから今年修士1年だからさらに5年になる。実に「教育現場」を離れて8年目に突入している。どうしても「溝」を感じずにいられない。
先週数理生物学シンポジウムが東大の駒場で開かれた。山口昌哉先生追悼の意を込めたオーガナイズドセッションで、数学の立場から数理生物学に貢献していらっしゃる三村先生が、「理論生物学と数学の狭間から」という副題を付けて2つの学問の「溝」と、その将来について語った。三村先生から見た理論生物学はこういうものだ。現象がある。それに対して数理的理解をし、モデルを組み立てる。計算機の助けを借りてシミュレーションを行ったり数学的解析を行って解き、現象自身と比較する。その比較の中で良いモデルや悪いモデルという考えが出てきて、最終的に現象の仕組み(からくり)を明らかにする。それが理論生物学だ。それに対する数学は非線形解析を中心に次々とモデルを解く手段を提供している。しかし全てが解けるわけではなく準備不足だと打ち明ける。そこに問題点を見出し一つの解決方法として、生物モデルから生物現象の本質を失わない数学モデルを抽出し、それを解析するのを「生物数学」と呼ぼう、と提唱なさった。そしてその例として、いくつか生物モデルを縮約する方法を説明した後語ったのは、しかし本当は「生物数学」というもう一つ別のものが必要なのではなく、「理論生物学」も「数学」も互いを見据えつつ、相手を理解しつつ、オーバーラップするところを増やしていけばそれでいいのだ、と話を結んでいた。
この「教育心理学」の最初の講義でも、教育学と(一般)心理学の間の「溝」に触れた。その「溝」は「価値」というものをどう扱うか、という点において生じる。そこに問題を見出し、その二つをつなぐものとして、教育心理学が存在し、「価値」という点で二面性を持っている、と。しかし三村先生の言葉を借りれば「教育心理学」という新たな名称を生み出せばそれで解決するのではない。教育学は教育学自身を発展させ心理学は心理学自身を発展させ、お互いの立場、お互いの視点を見据えつつ理解しつつ、オーバーラップするところを増やしていけばいいのだ、ということになる。「溝」がある、という問題意識を持った時、そしてその「溝」は埋めなければならないものだ、と認識した時、ただその間を埋める、ということを考えるのではなく、相手のことも自分のこともよく理解し、相互理解の中で自らを発展させて行けばいい、ということになる。
教育心理学は学問という体裁をとる以上、観察・実験・調査などをし、実証的に話を進めるだろう。教育現場では、もっと性急に問題の具体的な「対処法」を求めるだろう。教育心理学と教育現場にも確かに「溝」がある気がする。それを埋めるのはやはり、相手のことを理解しながら自らを高めていく努力を続ける態度だろう。
そして、僕と教育現場の間に横たわる「溝」も僕が教育現場に実際に降り立てば、そこで現状を直視し、大学で学んだ考えを柔軟に組み合わせて、そこでの出来事を理解しようと努めれば、あとは自らを発展させることだけなのだ。
その理解のためにこの講義が一つの取っ掛かりになるように話を聞きテクストを読み自ら考えていきたいと思う。
見てみて真似る やってみて真似る
あさのおかぎり 真似る良い子は すくすく育つ
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