<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しくあたたかな<ruby>太<rt>たい</rt>陽<rt>よう</rt></ruby>さんが<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>をうたう

O K A G I R I / B O O K S T A N D

おかぎりの / 本ほん屋やさん 

↑ここをクリックするとMP3が聴けるよ。



著ちょ者しゃ紹しょう介かい(岩いわ田た おかぎり)

ナンバー当あて、いろいろ当あて屋や(山やま師し、投とう機き家か、先さき読よみ博ばく打ち師し、空くう理り空くう論ろん家か)
家か庭てい教きょう師し(高こう校こう生せい英えい語ごが主しゅ、受じゅ験けん勉べん強きょう法ほう指し導どうが従じゅう)

<ruby>岩<rt>いわ</rt>田<rt>た</rt></ruby>おかぎり・<ruby>精<rt>せい</rt>神<rt>しん</rt></ruby><ruby>保<rt>ほ</rt>健<rt>けん</rt></ruby><ruby>福<rt>ふく</rt>祉<rt>し</rt></ruby><ruby>手<rt>て</rt>帳<rt>ちょう</rt></ruby>の<ruby>更<rt>こう</rt>新<rt>しん</rt></ruby>のために<ruby>撮<rt>さつ</rt>影<rt>えい</rt></ruby>した<ruby>証<rt>しょう</rt>明<rt>めい</rt></ruby><ruby>写<rt>しゃ</rt>真<rt>しん</rt></ruby>(<ruby>平<rt>へい</rt>成<rt>せい</rt></ruby>20<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>3<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby>25<ruby>日<rt>にち</rt></ruby>(<ruby>火<rt>か</rt></ruby>)<ruby>撮<rt>さつ</rt>影<rt>えい</rt></ruby>)
しょーもないことに時じ間かんを消しょう耗もうさせながら、とりえって言いったら、猫ねこの手ても借かりたいくらいインド人じんまがいの30代だい男おとこ。イチローと同おない年どしのイチローと同おなじ愛あい知ち県けん出しゅっ身しんである。片かたや10億おく円えんプレーヤー。片かたや毎まい月つきの日に本ほん育いく英えい会かい奨しょう学がく金きんの返へん還かんでぜいぜい言いってます。借かりたものは返かえそうー! おー!
病気き持もちでもあるな。統とう合ごう失しっ調ちょう症しょう。陰いん性せい状じょう態たいに陥おちいったときに、病びょう気きの機き構こうが違ちがうからと、安あん易いに抗こううつ剤ざいを処しょ方ほうしてもらえないのが非ひ常じょうにつらい。
「耐たえるしかないのね。人じん生せいは苦くるしいものなの。早はやく慣なれるのよ」
習しゅう慣かんは天てん性せいに百ひゃく倍ばいす。なにごともならいです。
現げん在ざいの所ところ、メインの薬くすりはジプレキサです。セレネースも長ながいこと使つかっていた。睡すい眠みん導どう入にゅう薬やくも処しょ方ほうされている。
薬くすりだけでも負ふ担たんをかけているので、肝かん臓ぞうに悪わるいからとほぼ禁きん酒しゅ。タバコも吸すいません。ゴルフもしません。パチンコもしません。ゲームもしません。テレビもほとんど見みません。台たい風ふうの襲しゅう来らい時じや、地じ震しんが起おこると見みるくらい。

1973年ねん、愛あい知ち県けん一いちの宮みや市しに生うまれる。
1992年ねん、愛あい知ち県けん立一いちの宮みや高こう等とう学がっ校こう演えん劇げき科か卒そつ業ぎょう。
1999年ねん、立りつ命めい館かん大だい学がく理り工こう学がく部物ぶつ理り学がく課か程てい卒そつ業ぎょう。
2001年ねん、立りつ命めい館かん大だい学がく大だい学がく院いん理り工こう学がく研けん究きゅう科か数すう理り科か学がく専せん攻こう中ちゅう退たい。
本ほん名みょう 岩いわ田た 益ます直なお
またの名なを Hillmist Okagiri Iwata Rockfield Masunao Trucere。
自じ称しょうモラリスト。
ただ今いま、吟ぎん遊ゆう詩し人じんとして修しゅ行ぎょう中ちゅう。





そのほかの作さく品ひん・公こう開かいした雑ざつ文ぶん

中ちゅう三さん ・班はんノートに記き載さい「勉べん強きょうについて①(主おもに受じゅ験けん制せい度どについて)」

できるだけ「よい生せい徒と」を選せん別べつしようとする大だい学がくの圧あつ力りょくのために、中ちゅう学がく生せいや高こう校こう生せいが苦くるしんでいるのは、おかしな話はなしで勉べん強きょうはそもそもおもしろいものだという話はなし。大だい学がくが研けん究きゅう機き関かんであるならば、生せい徒と全ぜん員いんを「よい生せい徒と」として育そだてるのにはどうすればいいかを研けん究きゅうし、教きょう育いくのあり方かたを変かえるべきだという話はなし。今いまでも日に本ほん国こく民みん全ぜん員いんを東とう京きょう大だい学がくに合ごう格かくするくらいに知ち的てき能のう力りょくを伸のばすにはどうしたらいいのかを本ほん気きで思し案あんしている、その出しゅっ発ぱつ点てん。
原げん文ぶんは横よ川かわ清きよし先せん生せいが保ほ管かんしてくれていると思おもわれる。

・卒そつ業ぎょう文ぶん集しゅう「立りっ志しのとき(旧きゅう題だい 決けつ別べつの決けつと意い中ちゅうの意いで決けつ意い)」

立りっ志しを意い識しきした散さん文ぶん。愛あい知ち県けん一いちの宮みや市しのローカルネタあり。当とう時じの名な古ご屋や鉄てつ道どうは真まっ赤かな列れっ車しゃを走はしらせていた。都と会かいから来きた人ひとはさすがど田いな舎か名な古ご屋やと言いっていたんだかいないんだか。
以い下か全ぜん文ぶん

夏なつ休やすみだったのだろうか。まだまだほっぺの赤あかかった頃ころだ。半はん田だ市しへ向むかう真まっ赤かな電でん車しゃの中なかで、僕ぼくはぶら下さがっている広こう告こくを見みていた。
「けいりん」の広こう告こくである。いついつどこでやりますよ、と書かいてある、そういった類たぐいのものだ。車くるまで出で掛かける時ときよく耳みみにする。
「そうか、今きょ日うは“けいりん”があったのか」
いとこと伯お母ばが遊あそびにきた帰かえりに付ついて行いくことになって、何なん日にちか泊とまる予よ定ていになっていた。だからその車しゃ内ないには、二ふた人りのぼうずと、急きゅうに二ふた人りの息むす子こを抱かかえることになった伯お母ばがいた。僕ぼくがそちらの方ほうばかり見みていたからだろう。「あれ、なんだか知しってる」とわんぱくどもに問もん題だいを出だしたのは。
彼かれは考かんがえ込こんでいた。半はん田だ市しに競けい輪りん場じょうなぞないのだから仕し方かたなかろう。
だが、僕ぼくにとっては、先さきから興きょう味み津しん々しん眺ながめ入いっていた言こと葉ばなのだ。小しょう便べんをどれだけ飛とばしたかでも競きょう争そうしたがる、そういった仲なか、そういった年とし頃ごろだったのだ。当とう然ぜん、得とく意いな顔かおで答こたえていた。
「車くるまが混こんで、じゅうたいになることでしょ」
知しらない言こと葉ばを覚おぼえていくなんて、そんな感かんじだったのだ、と思おもう。
外がい国こく語ごもそんな風ふうに接せっしていけるのが一いち番ばんいいのだろう。もし勉べん強きょうするということが、知しらないことを知しっていくことなら、僕ぼくはこれからもずっと勉べん強きょうしていきたいと思おもう。そして、これまで学まなんだこと、教おしえられたことに応こたえていきたい。一ひとつ一ひとつ応こたえていかなければならない、などと、今いま、思おもっている。


高こう一いち ・部ぶ内ない閲えつ覧らん「勉べん強きょうについて②(主おもに勉べん強きょうの仕し方かたについて)」

その頃ころの僕ぼくが書かきうる最さい高こうの勉べん強きょうの仕し方かた。ただし高こう校こう一いち年ねん生せいは、学がく習しゅう済ずみ範はん囲いの数すう学がくの問もん題だいなら、大だい学がく入にゅう試し基き礎そや標ひょう準じゅん問もん題だいに対たい応おう可か能のうだが、英えい語ごは辞じ書しょを使つかってたどたどしく読よめる程てい度ど。こうすれば日に本ほん語ごを操あやつっているのと同おなじように、英えい語ごが使つかえるようになる、とは断だん言げんできなかった弱よわさがある。
原げん文ぶんは越こし野の晶あき子こさんが保ほ管かんしてくれていると思おもわれる。

    ・処しょ女じょ戯ぎ曲きょく「Gaia」

上じょう演えん不ふ可か能のうという声こえも高たかかった。しかしそれでも上じょう演えんしたいという声こえも高たかかった。熱ねつ烈れつなる歓かん声せい。震ふるえる魂たましい。故こ如きさら月ぎ小こ春はるさんに捧ささぐ戯ぎ曲きょくとして、だるまさん三さん部ぶ作さくの第だい三さん部ぶに当あたる。

高こう二に ・戯ぎ曲きょく「だるまさんがころんだ」

地ち区く大たい会かいで入にゅう賞しょう。県けん大たい会かいに出しゅつ場じょうするも結けっ果かとして改かい悪あくして上じょう演えんしたため、作さく品ひんのよさをなくし入にゅう賞しょうせず。自じ分ぶんなりの演えん劇げき観かんをまだ築きずいていなかった当とう時じ、雑ざつ音おんや迷まよいのためいいタクトが振ふれなかった。もちろん精せい神しん的てきな病やまいが忍しのび寄よっていたためでもある。だるまさん三さん部ぶ作さくの第だい一いち部ぶに当あたる。

    ・戯ぎ曲きょく「Tear DARUMASANN GA KOWARETA」

空くう間かんと時じ間かんを構こう成せいした美び術じゅつ作さく品ひん。ひとまず自じ分ぶんの芝しば居いとは何なにか、に答こたえを出だした。はせひろいちさんと野の田だ秀ひで樹きさんの要よう素そ強つよし。強きょう度どの精せい神しん強きょう迫はくから家いえ出でをし、その後ごも活かつ動どうが思おもうように行いかなくなって、精せい神しん病びょう院いんに通かよう。最さい初しょに処しょ方ほうされた薬くすりを服ふく薬やくした所ところ、二ふつ日か間かん眠ねむりこけ、目め覚ざめた直ちょく後ごから脱だっ兎との勢いきおいでそれまで集あつめていた材ざい料りょうをもとに、一いっ挙きょに書かき上あげる。だるまさん三さん部ぶ作さくの第だい二に部ぶに当あたる。


高こう校こう生せいのときの筆ひつ名めいを青あお山やまガン太たという。

十じゅう九きゅう歳さい ・短たん編ぺん小しょう説せつ「手て紙がみ形けい式しき第だい一いち番ばん」

十じゅう九きゅう歳さいの精せい神しん的てき病やまい「統とう合ごう失しっ調ちょう症しょう」のクライマックスの訪おとずれを告つげる小しょう説せつ。もう少すこし長ながいものを予よ定ていしていたが、この長ながさで収おさまってしまった。続つづきを書かこうかとも何なん度ども思おもったが、これで完かん成せいしている、手てを入いれる必ひつ要ようはない、が今いまの所ところの結けつ論ろん。

(休きゅう学がく)  病やまいに有こころ心あり也!

在ざい学がく中ちゅう レポート課か題だい等とう

・「教きょう育いく現げん場ば」での問もん題だい

―――「溝みぞ」というもの

「教きょう育いく現げん場ば」という言こと葉ばにまず戸と惑まどいを感かんじる。
ビデオのレイチェルは当とう時じ23歳さい。1972年ねん生せいまれ。僕ぼくは1973年ねん生せいまれ、現げん在ざい26歳さい。大だい学がく教きょう育いくの現げん場ばならよく知しっているが、高こう等とう学がっ校こうや中ちゅう学がっ校こうとなるとそこでの今いまの問もん題だいをどう思おもい浮うかべてどう扱あつかったらいいのか非ひ常じょうに苦くるしむ。僕ぼくと、この「教きょう育いく現げん場ば」には大おおきな溝みぞがあるように感かんじる。
僕ぼくが通とお・かよった高こう校こうは、名な古ご屋やを含ふくめない尾お張わり随ずい一いちの進しん学がっ校こうだった。穏おん和わな性せい格かくの子こが集あつまった、いわば「問もん題だい」とは無む縁えんの、「できる子こ」の学がっ校こうである。僕ぼくの在ざい学がくしていた間あいだで大おおきな問もん題だいといえば、僕ぼく自じ身しんが精せい神しん上じょう苦くるしんでいて高こう校こう2年ねんの今いま頃ごろ、2000円えん程てい度どの所しょ持じ金きんと何なん冊さつかの本ほんを持もって家いえと学がっ校こうを捨すて、全まったく誰だれ一ひと人りとも連れん絡らくを付つけずに、姿すがたをくらましていた「事じ件けん」だろうか。名な古ご屋やの町まちを放ほう浪ろうし、野の宿じゅくしていた。
高こう3のときは、京きょう都と大だい学がく理り学がく部ぶを目め指ざし勉べん強きょうしたが、その年とし受うからなかったので浪ろう人にんした。そこに何なにかしらの無む理りがあって、神しん経けい衰すい弱じゃくになって、精せい神しん科かへの入にゅう院いんも経けい験けんした。幻げん覚かく・幻げん聴ちょうと精せい神しんの不ふ安あん定ていさに苦くるしんでいたが、幻げん覚かくと気き付づかず医い者しゃが僕ぼくを「病びょう気き」と認みとめたのは、1993年ねん4月がつの立りつ命めい館かん大だい学がく入にゅう学がく式しきの翌よく日じつである。入にゅう院いんをしたのは僕ぼくが自じ殺さつを企くわだてたあと、1993年ねんの夏なつ。93年ねん後こう期きには休きゅう学がく届とどけを出だし95年ねん4月がつから復ふく学がくした。
結けっ局きょく、僕ぼくは高こう校こう卒そつ業ぎょうから大だい学がくに通かようまで3年ねんの月つき日ひを要ようし、大だい学がくに通かよい始はじめてから今こ年とし修しゅう士し1年ねんだからさらに5年ねんになる。実じつに「教きょう育いく現げん場ば」を離はなれて8年ねん目めに突とつ入にゅうしている。どうしても「溝みぞ」を感かんじずにいられない。
先せん週しゅう数すう理り生せい物ぶつ学がくシンポジウムが東とう大だいの駒こま場ばで開ひらかれた。山やま口ぐち昌まさ哉や先せん生せい追つい悼とうの意いを込こめたオーガナイズドセッションで、数すう学がくの立たち場ばから数すう理り生せい物ぶつ学がくに貢こう献けんしていらっしゃる三み村むら先せん生せいが、「理り論ろん生せい物ぶつ学がくと数すう学がくの狭はざ間まから」という副ふく題だいを付つけて2つの学がく問もんの「溝みぞ」と、その将しょう来らいについて語かたった。三み村むら先せん生せいから見みた理り論ろん生せい物ぶつ学がくはこういうものだ。現げん象しょうがある。それに対たいして数すう理り的てき理り解かいをし、モデルを組くみ立たてる。計けい算さん機きの助たすけを借かりてシミュレーションを行おこなったり数すう学がく的てき解かい析せきを行おこなって解とき、現げん象しょう自じ身しんと比ひ較かくする。その比ひ較かくの中なかで良よいモデルや悪わるいモデルという考かんがえが出でてきて、最さい終しゅう的てきに現げん象しょうの仕し組くみ(からくり)を明あきらかにする。それが理り論ろん生せい物ぶつ学がくだ。それに対たいする数すう学がくは非ひ線せん形けい解かい析せきを中ちゅう心しんに次つぎ々つぎとモデルを解とく手しゅ段だんを提てい供きょうしている。しかし全すべてが解とけるわけではなく準じゅん備び不ぶ足そくだと打うち明あける。そこに問もん題だい点てんを見み出いだし一ひとつの解かい決けつ方ほう法ほうとして、生せい物ぶつモデルから生せい物ぶつ現げん象しょうの本ほん質しつを失うしなわない数すう学がくモデルを抽ちゅう出しゅつし、それを解かい析せきするのを「生せい物ぶつ数すう学がく」と呼よぼう、と提てい唱しょうなさった。そしてその例れいとして、いくつか生せい物ぶつモデルを縮しゅく約やくする方ほう法ほうを説せつ明めいした後あと語かたったのは、しかし本ほん当とうは「生せい物ぶつ数すう学がく」というもう一ひとつ別べつのものが必ひつ要ようなのではなく、「理り論ろん生せい物ぶつ学がく」も「数すう学がく」も互たがいを見み据すえつつ、相あい手てを理り解かいしつつ、オーバーラップするところを増ふやしていけばそれでいいのだ、と話はなしを結むすんでいた。
この「教きょう育いく心しん理り学がく」の最さい初しょの講こう義ぎでも、教きょう育いく学がくと(一いっ般ぱん)心しん理り学がくの間あいだの「溝みぞ」に触ふれた。その「溝みぞ」は「価か値ち」というものをどう扱あつかうか、という点てんにおいて生しょうじる。そこに問もん題だいを見み出いだし、その二ふたつをつなぐものとして、教きょう育いく心しん理り学がくが存そん在ざいし、「価か値ち」という点てんで二に面めん性せいを持もっている、と。しかし三み村むら先せん生せいの言こと葉ばを借かりれば「教きょう育いく心しん理り学がく」という新あらたな名めい称しょうを生うみ出だせばそれで解かい決けつするのではない。教きょう育いく学がくは教きょう育いく学がく自じ身しんを発はっ展てんさせ心しん理り学がくは心しん理り学がく自じ身しんを発はっ展てんさせ、お互たがいの立たち場ば、お互たがいの視し点てんを見み据すえつつ理り解かいしつつ、オーバーラップするところを増ふやしていけばいいのだ、ということになる。「溝みぞ」がある、という問もん題だい意い識しきを持もった時とき、そしてその「溝みぞ」は埋うめなければならないものだ、と認にん識しきした時とき、ただその間あいだを埋うめる、ということを考かんがえるのではなく、相あい手てのことも自じ分ぶんのこともよく理り解かいし、相そう互ご理り解かいの中なかで自みずからを発はっ展てんさせて行いけばいい、ということになる。
教きょう育いく心しん理り学がくは学がく問もんという体てい裁さいをとる以い上じょう、観かん察さつ・実じっ験けん・調ちょう査さなどをし、実じっ証しょう的てきに話はなしを進すすめるだろう。教きょう育いく現げん場ばでは、もっと性せい急きゅうに問もん題だいの具ぐ体たい的てきな「対たい処しょ法ほう」を求もとめるだろう。教きょう育いく心しん理り学がくと教きょう育いく現げん場ばにも確たしかに「溝みぞ」がある気きがする。それを埋うめるのはやはり、相あい手てのことを理り解かいしながら自みずからを高たかめていく努ど力りょくを続つづける態たい度どだろう。
そして、僕ぼくと教きょう育いく現げん場ばの間あいだに横よこたわる「溝みぞ」も僕ぼくが教きょう育いく現げん場ばに実じっ際さいに降ふり立たてば、そこで現げん状じょうを直ちょく視しし、大だい学がくで学まなんだ考かんがえを柔じゅう軟なんに組くみ合あわせて、そこでの出で来き事ごとを理り解かいしようと努つとめれば、あとは自みずからを発はっ展てんさせることだけなのだ。
その理り解かいのためにこの講こう義ぎが一ひとつの取とっ掛かかりになるように話はなしを聞ききテクストを読よみ自みずから考かんがえていきたいと思おもう。





・「Ⅱ章ど 学がく習しゅうの過か程てい」を読よんで

―――授じゅ業ぎょう以い前ぜんに心こころ得えておくこととして

まず第だい一いちに、相あい手てを知しらなければ始はじまらない。自じ分ぶんの経けい験けんだけではあまりに狭せまい。一いっ般ぱん的てきな個こ々この生せい徒とがどのように「学がく習しゅうする」か。どうやったら効こう果かを一いち番ばんあげられるのか。「学がく習しゅうする」とはどのような過か程ていなのか。
幸さいわいにも人じん工こう知ち能のうを研けん究きゅうする過か程ていの中なかでいくつかの「学がく習しゅうモデル」が提てい案あんされ、そこから得えられる知ち見けんを実じっ証しょう的てきにも研けん究きゅうしている。ひょっとすると我われ々われの存そん在ざい自じ体たいを根こん本ぽんから問とうことかも知しれぬと思おもいつつ、「学がく習しゅうの過か程てい」についての知ち見けんを知しることは、個こ人じんの経けい験けんによる「学がく習しゅう観かん」に頼たよるよりは、ずっと有ゆう効こうに思おもわれる。人にん間げんが学がく習しゅうに向むかう要よう因いんとは。学がく習しゅうに仕し向むける対たい応おうとは。知ち的てき好こう奇き心しんとは。そして一ひと人りの人にん間げんの中なかで、知ち識しきが生いき生いきとその人ひと自じ身しんのものになるためにはどうすればいいのか。そういった知ち見けんを、教きょう壇だんに立たつ前まえに知しっておくことは計はかり知しれぬほど価か値ちあることだと思おもう。
第だい二にに、授じゅ業ぎょうに求もとめられるのは変かわっていく、ということ。自じ分ぶんが受うけてきた授じゅ業ぎょうを再さい生せい産さんすることは、有ゆう効こうでないどころか有ゆう害がいですらある。自じ分ぶんという「個こ」が培つちかってきた「授じゅ業ぎょう観かん」を一いっ般ぱん的てきなものにするにも、人にん間げんがどのように学がく習しゅうするか、を知しることは大だい事じだ。それに基もとづいて、なお時じ代だいと共ともに変かわる要よう求きゅうに合あわせた授じゅ業ぎょうを再さい生せい産さんではなく「独どく創そう」すべきなのだ。
最さい後ごに、僕ぼくは知しらず知しらずのうちにいろいろな「方ほう略りゃく」を適てき宜ぎ使つかってきたことを思おもい出だし、「方ほう略りゃく」の指し導どう、つまりメタ認にん知ち、メタ記き憶おくについて悟さとらせたり、実じっ感かんさせたりするのも必ひつ要ようであろうと思おもわれる、として結むすぶ。






・ユングの向こう性せいとタイプ

―――ユングの「タイプ」と「人じん格かくの形けい成せい」

ユングが人じん格かくの基き本ほん的てき態たい度ど(もしくは一いっ般ぱん的てき態たい度ど)(basic attitude)としてまず、「内ない向こう(introvert)」と「外がい向こう(extrovert)」に目めをつけたこと、このことはよく知しられているようだ。この2つの対たい比ひが、フロイトとアドラーとを対たい比ひした分ぶん析せきによるものとは僕ぼくも知しらなかったが。

ユングの<ruby>心<rt>しん</rt>理<rt>り</rt></ruby><ruby>機<rt>き</rt>能<rt>のう</rt></ruby>4タイプ<ruby>座<rt>ざ</rt>標<rt>ひょう</rt>軸<rt>じく</rt></ruby><ruby>表<rt>ひょう</rt>示<rt>じ</rt></ruby>そしてさらにユングは4つの心しん理り機き能のうを座ざ標ひょう軸じくとして設せっ定ていし、この4つの心しん理り機き能のうそれぞれに内ない向こうと外がい向こうがあることから、計けい8つのタイプを考かんがえ出だしている。
4つの心しん理り機き能のうは右みぎの図ず2のように思し考こう(知ち的てきに判はん断だんする)感かん情じょう(好すき嫌きらいのように判はん断だんする)感かん覚かく(刺し激げきをそれとして的てき確かくに受うけ入いれる)直ちょっ観かん(刺し激げきの背はい後ごにある可か能のう性せいを受うけ入いれる)に分わけられる。ここに一いち応おう4つの心しん理り機き能のうについての説せつ明めいもしてみたが、詳くわしくは、河かわ合い隼はや雄お著ちょ「ユング心しん理り学がく入にゅう門もん」(培ばい風ふう館かん)(1967年ねん)p.37?p.63「3章ど タイプ」に譲ゆずる。
ユングの<ruby>心<rt>しん</rt>理<rt>り</rt></ruby><ruby>機<rt>き</rt>能<rt>のう</rt></ruby><ruby>思<rt>し</rt>考<rt>こう</rt>的<rt>てき</rt></ruby><ruby>直<rt>ちょっ</rt>観<rt>かん</rt>型<rt>がた</rt></ruby>の<ruby>座<rt>ざ</rt>標<rt>ひょう</rt>軸<rt>じく</rt></ruby><ruby>表<rt>ひょう</rt>示<rt>じ</rt></ruby>そして4つの心しん理り機き能のうのどれに主おもに頼たよるかによって、その人ひとの「タイプ」を見みつけ出だそうとしている。たとえば思し考こう的てき直ちょっ観かん型がたの人ひとは右う図ず3のようになる。ユングは無む意い識しきと意い識しきの対たい比ひも考かんがえているので劣れっ等とう機き能のうが主しゅ機き能のうを補ほ償しょうする傾けい向こうについても考かんがえている。
さて、こうしてユングの「タイプ」はこうこうであるが、この知ち見けんをどうすべきか。また彼かれも実じっ際さいにどう考かんがえていたのか。それは次つぎのようである。
内ない向こう的てきな人ひとに外がい向こう的てきな生いき方かたを強きょう制せいさせてはいけない。また思し考こうが主しゅ機き能のうな人ひとに感かん情じょうを重じゅう視しさせようとしてもそれは無む理りが来くる。図ず3のような4つの機き能のうの図ずがそれぞれの個こ人じんについて描かけたとして、それが描かけたならば、主しゅ機き能のうと補ほ助じょ機き能のうの発はっ達たつを心こころがけながら、劣れっ等とう機き能のうをも開かい発はつしていくことである。すなわち、元もととしてある、どの機き能のうに頼たよるかという傾けい向こう(個こ性せい)はそのままに全すべての機き能のうを発はっ達たつさせることである。
それがユングの「タイプ」から見みた「人じん格かくの完かん成せい」だろうと僕ぼくは思おもう。





・プロセスの自じ己こ診しん断だん

―――この1年ねん間かんの教きょう職しょく科か目もく(7科か目もく)を振ふり返かえって

全すべての教きょう職しょく科か目もくは、新しん鮮せんだった。
これまで自し然ぜん(Universe)に目めを向むけていた、僕ぼくの言こと葉ばで言いえば、「神かみ」に目めを向むけていたのに、今こん回かい「人にん間げん」に目めを転てんじることになった一いち年ねんだった。
心しん理り学がくも面おも白しろい。
教きょう育いくに関かかわった人ひと々びとの思し想そうも理り想そうもその周しゅう辺へんの社しゃ会かいの動うごきも面おも白しろい。
僕ぼくが精せい神しん病びょう院いんに入にゅう院いんするほど、病やんでいた人にん間げんなのでユングやフロイトの考かんがえが身みにしみてよく分わかる(僕ぼくの理り解かいの範はん囲いで)。
この研けん究きゅうレポートの(提てい出しゅつが遅おくれた。単たん純じゅんに僕ぼくが、a lazy manだからである。)作さく成せいに関かんしてだけのプロセスを見みるだけでは、あまりそれほど大おおきな収しゅう穫かくはない気きがするが、一ひと言ことで言いえば『「人にん間げん」に目めを向むけた一いち年ねん』として大おおきな実みのりある、(それは確たしかに自じ分ぶんの研けん究きゅうをしながら講こう義ぎをたくさんとって本ほんを読よんだりするのは大たい変へんだったが)貴き重ちょうな一いち年ねんだったと思おもう。






こういう教きょう師しになろう、授じゅ業ぎょうを展てん開かいしよう、という決けつ意い表ひょう明めい文ぶん。

・僕ぼくの抱いだく理り想そうの教きょう師し像ぞう

僕ぼくのような子この役やくに立たちたい。
これが僕ぼく自じ身しんの生せい活かつ史しを振ふり返かえり、未み来らいと社しゃ会かいを向むいたときに見み出いだした答こたえです。
高こう校こう生せいの頃ころから、僕ぼくという個こ人じんが、社しゃ会かいで生いきていけるのだろうか、と思おもい悩なやみ苦くるしみました。ついには神しん経けい衰すい弱じゃくと診しん断だんされ、精せい神しん科かに入にゅう院いんするにも至いたりました。
その後ご、自じ分ぶんの心こころと向むき合あう道みちを取とった僕ぼくは、カウンセリングを受うけたり、本ほんを読よんだりして、どうにか「心こころ」と対たい話わするコツをつかんできました。無む神しん経けいに粗そ暴ぼうに扱あつかうのではなく、繊せん細さいな心こころと触ふれ合あうコツを自じ分ぶん自じ身しんの心こころと対たい面めんしながらつかんできたのです。
現げん在ざいの学がっ校こうには、成せい長ちょう途と上じょうで、自じ分ぶんの弱よわさと対たい決けつするのが上う手まくできない子こどもたちがたくさんいると思おもいます。また自じ分ぶん自じ身しんの未み来らい像ぞうや、社しゃ会かいで生いきている姿すがたが思おもい描えがけない子こどもたちがたくさんいると思おもいます。
世せ界かいを自し然ぜん科か学がくの立たち場ばから語かたる術すべを教きょう授じゅしながら、思し春しゅん期きの揺ゆれ動うごく心こころに悩なやむ青せい年ねんを、そういった「弱よわい心こころ」の子こどもたちを温あたたかく包つつみながら、時とき折おり考かんがえ方かたやものの見み方かた、社しゃ会かいや将しょう来らいに対たいする示し唆さを与あたえていく、そんな教きょう師しとして教きょう育いくに捧ささげたいと念ねん願がんしています。




・僕ぼくの考かんがえる「こころの教きょう育いく」

楽たのしくありたい。
物ぶつ理りは楽たのしい。もちろん他ほかの自し然ぜん科か学がくの自し然ぜん現げん象しょうを観みる見み方かたも面おも白しろいし、歴れき史しを捉とらえる、思し想そうを学まなぶ、理り解かいし表ひょう現げんし記き述じゅつする、そうした学がっ校こうで学まなぶ科か目もくは全すべて本ほん来らい的てきに楽たのしい。僕ぼくは全すべての科か目もくが楽たのしくって、特とくに物ぶつ理りがくれる、僕ぼくの五ご感かんに現あらわれる光ひかりや音おとや味あじを根こん本ぽんから捉とらえ直なおす世せ界かい観かんを深ふかめるために、大だい学がく院いんまで進すすみ、そして今いま、この見み方かたを伝つたえたいと願ねがっている。
高こう校こう生せいにもなると脳のうの情じょう報ほう処しょ理り能のう力りょく自じ体たいは大おおきくなっているのに、自じ分ぶんが寄よって立たつべき見み方かたが大おおきく揺ゆらいでいると思おもう。自じ分ぶんが社しゃ会かいでどう生いきていくか、どう社しゃ会かいを捉とらえるか、自じ分ぶんを生いかし社しゃ会かいに貢こう献けんできるのかできないのか、心こころは葛かっ藤とうの真まっ只ただ中なかだ。僕ぼくも苦くるしみ悩なやみ神しん経けい衰すい弱じゃくで入にゅう院いんもしたりした。心こころはこの時じ期き特とくに揺ゆれ動うごく。
彼かれらには地ぢ盤ばんが必ひつ要ようだ。1つだけでは足たりないが、僕ぼくは物ぶつ理りの見み方かたという確たしかな地ぢ盤ばん、世せ界かい観かんを与あたえる。その地ちで両りょう足あしを踏ふん張ばって見みてみれば、携けい帯たい電でん話わやインターネットや電でん子しレンジなどがあふれる現げん代だいに新あたらしい光ひかりが投なげかけられたように感かんじるだろう。僕ぼくは揺ゆれる心こころには、何なにか寄よって立たつ強きょう固こな見み方かたが必ひつ要ようだと思おもい、僕ぼくは物ぶつ理りが与あたえる世せ界かい観かんを伝つたえよう、と思おもう。
何なにかが分わかった! という瞬しゅん間かんほど楽たのしいことはない。その楽たのしさを味あじわい、この喜よろこびを常つねに得えたいと願ねがい、人にん間げんとしての知ち的てき能のう力りょくに見み合あった見み方かたを深ふかめていこう、とする向こう上じょう心しんが生うまれてくれればいい、と僕ぼくは願ねがう。
科か学がく的てきな眼を養やしなうことが必ひつ要ようであり、いろいろな見み方かたを持もつことが生せい徒との複ふく眼がん的てき見み方かたを豊ゆたかにし、豊ゆたかな眼で見みたとき、心こころの中なかに豊ゆたかな世せ界かい像ぞうが得えられるだろう。僕ぼくは高こう校こう生せいが心こころに豊ゆたかな世せ界かい像ぞうを描えがく手て助だすけをするために、1つの確かくとした世せ界かいの見み方かたとして、物ぶつ理りを中ちゅう心しんにして歴れき史しや人じん類るいの歩あゆみまでも含ふくむような「見み方かた」を伝つたえたい、と思おもう。その過か程ていは楽たのしいはずだし、僕ぼく自じ身しんも楽たのしみたい。






4回かい生せい ・卒そつ業ぎょう論ろん文ぶん「イオンチャネルーイオンの膜まく透とう過か性せいを司つかさどる分ぶん子しー」

イオンチャネルを扱あつかう研けん究きゅう室しつの2・3回かい生せい配はい当とうくらいの実じっ験けんで読よみ物ものとして配はい布ふするとイオンチャネルに興きょう味み関かん心しんをいだく学がく生せいが出でてくると思おもわれる。数すう理りモデルで扱あつかっている微び分ぶん方ほう程てい式しきは、大だい学がくでまず最さい初しょに習ならう形かたちの方ほう程てい式しきなので、さらっと式しき変へん形けいをしているが、微び分ぶん方ほう程てい式しきの科か目もくを履り修しゅうしていない人ひとには、そこの式しき変へん形けいはつらいかもしれない。しかし読よみ物もの優ゆう先せんで書かかれていて、学がく術じゅつ的てきにもポイントを押おさえているので、ぜひ手てに入いれてもらいたい。大だい学がく等とうの教きょう育いく研けん究きゅう機き関かんには、送そう料りょうプラスコピー代だい220円えんで譲ゆずります。

M2 ・ポスター発はっ表ぴょう「捕ほ食しょく者しゃ除じょ去きょ実じっ験けんにおける被ひ食しょく者しゃへの未み知ち種しゅの影えい響きょう」

そういえば研けん究きゅう活かつ動どうもしていたんだな、とか思おもう。
以い下か全ぜん文ぶん

 生せい物ぶつ種しゅ間あいだの相そう互ご作さ用ようを評ひょう価か・測そく定ていする方ほう法ほうとして、ある生せい物ぶつ種しゅを除じょ去きょまたは減げん少しょうさせて、その人じん為い的てき干かん渉しょうがほかの生せい物ぶつ種しゅの個こ体たい数すうに与あたえる影えい響きょうを調しらべる方ほう法ほうがある。そしてこれを用もちいて、その生せい物ぶつ種しゅを保ほ全ぜんすべきかどうかの判はん断だん材ざい料りょうの1つにできるという議ぎ論ろんがある。一いっ般ぱんに1つの生せい物ぶつ種しゅを除じょ去きょすると、完かん全ぜんにその生せい物ぶつ種しゅがいなくなるのだから群ぐん集しゅうに与あたえる影えい響きょうは甚じん大だいだと考かんがえられるが、実じっ際さいに除じょ去きょしたときに劇げき的てきな作さ用ようを群ぐん集しゅうに及およぼすのは、群ぐん集しゅうの中なかでもわずかな生せい物ぶつ種しゅに限かぎられている。保ほ全ぜんに関かんして言いえば、こうした強つよい影えい響きょうを与あたえる少しょう数すうの生せい物ぶつ種しゅだけを特とくに重じゅう点てん的てきにモニタリングすればよい、という主しゅ張ちょうがある。
 ところが最さい近きん、こうした除じょ去きょ実じっ験けんのデータの見み方かたに関かんして強つよい疑ぎ念ねんを投なげかける考かんがえが現あらわれた。今いままで弱よわい影えい響きょうしかないと見みなされていた実じっ験けんデータの中なかには、影えい響きょう力りょくの分ぶん散さんが大おおきいものがあるという指し摘てきである。確たしかに平へい均きんをとれば弱よわい影えい響きょうしかないように見みえる生せい物ぶつ種しゅについても、個こ々このデータでは、すなわち実じっ験けん場ば所しょや実じっ験けん開かい始し時じ間かん等とうが異ことなれば、かなり強つよい影えい響きょうがあるという指し摘てきである。こうした大おおきな分ぶん散さんは、制せい御ぎょしていない生せい物ぶつ種しゅ(第だい三さんの生せい物ぶつ種しゅあるいは未み知ち種しゅ)からの影えい響きょうを除じょ去きょ実じっ験けんが受うけているからだとしている。このように除じょ去きょ実じっ験けんのような実じっ験けんで得えられるのは、調ちょう査さしている2生せい物ぶつ種しゅの直ちょく接せつ作さ用ようの大おおきさではなく、注ちゅう目もくしていない生せい物ぶつ種しゅからの影えい響きょうも含ふくめた間かん接せつ作さ用ようの大おおきさであるという指し摘てきである。さらに2生せい物ぶつ種しゅの直ちょく接せつ作さ用ようが小ちいさいときには、注ちゅう目もくしていない生せい物ぶつ種しゅからの影えい響きょうが大おおきくなり、それが除じょ去きょ実じっ験けんの結けっ果かに現あらわれてくることが実じっ験けんデータの解かい析せきと野や外がいでの実じっ験けんによって主しゅ張ちょうされている。
 本ほん研けん究きゅうでは、数すう理り的てき側そく面めんから上じょう記きの主しゅ張ちょうの真しん偽ぎを確たしかめるためにモデルを用もちいて解かい析せきを行おこなった。そこでは捕ほ食しょく被ひ食しょく関かん係けいにある2種しゅの生せい物ぶつと、注ちゅう目もくしていない未み知ち種しゅ1種しゅだけを考かんがえた。注ちゅう目もくしている捕ほ食しょく者しゃと被ひ食しょく者しゃに、さらに未み知ち種しゅを加くわえた3種しゅ系けいにおいて捕ほ食しょく被ひ食しょく関かん係けいを考かんがえ、そうして得えられる8種しゅ類るいのネットワークについて、モデルの上うえで捕ほ食しょく者しゃ除じょ去きょ実じっ験けんを行おこない、それぞれについて未み知ち種しゅの影えい響きょうを考かんがえた。その結けっ果か、未み知ち種しゅとの捕ほ食しょく被ひ食しょく関かん係けいの違ちがい(ネットワークの違ちがい)によって捕ほ食しょく者しゃ除じょ去きょ実じっ験けんの結けっ果かが異ことなること、そしてInflow Sensitivityで評ひょう価かした間かん接せつ作さ用ようと除じょ去きょ実じっ験けんの結けっ果かとの関かん連れんが得えられた。



2001年ねん(28歳さい) ・随ずい想そう「旧きゅう版はん 黒くろの宣せん言げん」

最さい近きんの本ほんが、いわゆる「論ろん文ぶんレポートの書かき方かた作さ法ほう」に忠ちゅう実じつなつくりをしているのと比くらべると、異い色しょく、というか、けったい。紙かみでの出しゅっ版ぱんはあきらめた。電でん子し出しゅっ版ぱんならいいかなと思おもう。このHPのスタイルを流りゅう用ようしてもよい。ただし全ぜん文ぶん対たい象しょうの語ご句く検けん索さくができないと困こまる。いろんな分ぶん野やに対たいするエセーがばらばらに並ならんでいるので、語ご句く検けん索さくができないと、2度ど目めの読どく書しょに困こまる。
 執しっ筆ぴつ当とう時じ統とう合ごう失しっ調ちょう症しょうの2度ど目めの悪あっ化か期きにあたった。

抜ばっ粋すい「Gods And Plays (神かみ々がみと芝しば居いについて)」

以い下か全ぜん文ぶん

I would like you to share my pet thought about two things: gods and plays.
I believe in gods, which is not God. The gods I believe in don’t have his real and even virtual body; and so we can’t see him and hear his voice. Moreover, he may not have the slightest consciousness of the universe; he cannot know and take care of me and the other people on the earth. However, he do exist and control the Universe. So this world is flooded with a lot of the laws: the law of gravity, the laws of motion, the laws of Kepler and the laws of grammar.
I think that this is the world, which such gods govern. The Universe came into being and will disappear, following what he decided; I was born and will die, following him, as a matter of fact. That is why I shall devote my energies to the quest of truth, which will take me to him: what the Universe is like, why creatures with intelligence appeared in the Universe and where we shall go.
Anyway, the other thing I am most interested in is the stage dramas. They sound much meaner than my belief in gods, but it seems to me that they can contain the most important things in the world and that they are the cream of life.
I belonged to the dramatic society in the high school and now I long to stage my plays with old friends of mine. When I graduate from the university, I am going to mail them a letter to the effect that I will found the dramatic society they call ‘GEKIDAN KURO NO SHISHIOU’. The three titles I will give my stories are already determined; ‘Return to Innocence’ ‘Tear’ and ‘Gaia’.

(全ぜん訳やく)
あなたには僕ぼくがいつも考かんがえている二ふたつの事ことを知しってもらいたいのです。それは、神かみと劇げきについてです。
僕ぼくは神かみの存そん在ざいを信しんじています。ところが、それは一いっ般ぱんの神かみ様さまとは異ことなっているのです。僕ぼくのいう神かみには、我われ々われと同おなじ様ような現げん実じつの肉にく体たいも仮かりの肉にく体たいもないのです。それで僕ぼくらには神かみの姿すがたを見みることも声こえを聞きくこともできません。それどころか神かみは万ばん物ぶつに対たいする意い識しきのかけらすら持もっていないかもしれません。神かみは僕ぼくのことを知しらないし、気きにかけてもくれないことがありうるのです。地ち球きゅう上じょうのいかなる人ひと々びとに対たいしてもそれが当あてはまります。けれども、神かみは確たしかに存そん在ざいし、宇う宙ちゅうを制せい御ぎょしています。だからこそ、この世せ界かいはたくさんの法ほう則そくに満みち溢あふれているのです。重じゅう力りょくの法ほう則そくや運うん動どうの法ほう則そく、ケプラーの法ほう則そくそれに文ぶん法ぽうなどです。
僕ぼくはこの世せ界かいはそのような神かみの支し配はいする世せ界かいだと考かんがえています。宇う宙ちゅうは神かみが決きめた事ことに従したがって、生しょうじ消しょう滅めつしていきます。僕ぼくは神かみの後うしろを追おいかけ、生うまれ死しんでいきます。当とう然ぜんのことですが。そういう訳わけで自じ分ぶんの力ちからは真しん理りの探たん究きゅうのために捧ささげます。そうすれば神かみに近ちか付づくことができるからです。この宇う宙ちゅうはどんな姿すがたなのかとか、知ち能のうを持もった生せい命めいが何な故ぜ宇う宙ちゅうに出しゅつ現げんしたかとか、自じ分ぶんたちがどこへ行いくのかといった探たん求きゅうです。
ところで、僕ぼくのよく考かんがえているもう一ひとつのことは舞ぶ台たい演えん劇げきの事ことです。そんなものは僕ぼくが神かみを信しんじている事ことに比くらべれば、はるかに下くだらないことの様ように思おもわれるかもしれませんが、芝しば居いは世せ界かいの中なかで最もっとも重じゅう要ようなことを扱あつかうことができ、人じん生せいの最もっともおいしい部ぶ分ぶんだと僕ぼくには思おもえるのです。
高こう校こう生せいの時とき僕ぼくは演えん劇げき部ぶに所しょ属ぞくしていました。今いまでは僕ぼくの書かく戯ぎ曲きょくを当とう時じの友とも達だちと一いっ緒しょに上じょう演えんしたいと願ねがっています、大だい学がくを卒そつ業ぎょうしたら、「劇げき団だん黒くろの獅し子し王おう」を設せつ立りつするという旨むねの手て紙がみを友とも達だちに送おくりたいと思おもいます。僕ぼくの書かく戯ぎ曲きょくの3つの表ひょう題だいは既すでに決きまっているのです。「Return to Innocence」に「Tear」に「Gaia」です。


抜ばっ粋すい (予よ定ていは未み定てい)

(療りょう養よう中ちゅう)  病やまいに有こころ心あり也!

2004年ねん(31歳さい) ・詩し集しゅう「傷きずつくは 優やさしんだ」(優やさしい愛あいの詩うた)

作さく品ひん説せつ明めい

「傷きずつくは 優やさしんだ」というタイトルの6部ぶ構こう成せい77篇へんからなる詩し集しゅうです。一ひとつ一ひとつの詩しを取とり上あげると深ふかみのない詩したちかもしれませんが、77篇へん合あわさって世せ界かいのさまざまな様よう相そうを掬すくい取とることに挑ちょう戦せんしています。たとえていうと、パレットに15色しょくの絵えの具ぐとそれらの混こん色しょくがあるのに、1篇へんの作さく品ひんの中なかでは、単たん色しょくしか使つかっていないので表ひょう現げんが淡たん白ぱくに見みえるかもしれませんが、77篇へん合あわさると、あらゆる色しき彩さいを駆く使ししているような詩し集しゅうになればと編へん纂さんしました。

僕ぼく個こ人じんの生せい活かつを超こえたところの普ふ遍へん的てきな若わかい感かん情じょうを、年ねん配ぱいの方かたから見みてもらっても納なっ得とくできるような形かたちで、詩しという表ひょう現げんに載のせようとしています。悩なやみの深ふかかった高こう校こう生せいの僕ぼく自じ身しんに対たいして届とどけばいいと願ねがっています。若わかかった僕ぼく自じ身しんに対たいする救すくいのメッセージが、他ほかの誰だれかの渇かわきを癒いやすうた集しゅうとして届とどけばと願ねがっています。

形けい式しきの特とく徴ちょうとしては、変へん則そく57調ちょうと僕ぼくが命めい名めいした形けい式しきを多おおく採さい採ようしています。正せい則そくというのを575757と繰くり返かえすものとすれば、変へん則そく57調ちょうは、5555や、7777の出しゅつ現げんを許もとすという少すこしゆるいルールに則のっとった形けい式しきです。

この詩し集しゅうのイメージカラーは澄すんだ青あお色いろです。この詩し集しゅうを読よみ終おわった誰だれかがふと空そらを見み上あげて、そこにいつもと変かわらず僕ぼくらを優やさしく包つつんでくれる、青あおい地ち球きゅうを感かんじてもらえれば幸さいわいです。

目もく次じ

詩し集しゅう「傷きずつくは 優やさしんだ」(優やさしい愛あいの詩うた)

傷きずつくは 優やさしんだ
傷きずつくは 優やさしんだ / 初しょ冬とう / 冬とう至じを過すぎて / 光ひかりを浴あびて / なんでだろうね / あるエイプリル フールの日ひに / 朝あさ日ひ / ブタ / 過すぎたるは / 日にっ記き / 二ふたつ神がみ(ふたつがみ) / そんな気き持もちで / あじさい / うちの常じょう識しき / シンプル / この夏なつも

よきかな
ゆれながら 考かんがえながら エリクソン / よきかな / 今け朝さもまた / 辛つらさ喜よろこび / 賢かしこく生いきる / 負ふの走そう光こう性せい虫ちゅう / 心こころ安やすんぜよ / あなたに問とう / 要ようは・・・ / 有あり難がたみ / 天てん地ち / 孟もう・孔こう子し / 先さきを生いきる人ひと

あの子こ
告こく別べつ / あの子こ / ほからかに / 幸しあわせに / 真まことの心こころを信しんじ頼たのむ / 心こころのままに / サイクリング / 耳みみ / あの時とき / 分わかって下ください

あのために/主しゅ題だい
なぜにして そうまでにして / 恐きょう怖ふ / 僕ぼく自じ身しんの人じん生せい / 効こう率りつ / 僕ぼくの自じ分ぶん勝かっ手てで個こ人じん的てきな目もく標ひょうのために / 主しゅ題だい / 滅ほろびのとき / 完かん了りょう形けい / 人にん間げんなのだから / ぼくにでも できること / デジャブ / 学まなんでごらん / 僕ぼくの責せき任にん / あの人ひと

十じゅう七なな歳さい
十じゅう七なな歳さい / 暗くら闇やみの中なか / 少しょう年ねん / 語かたりえること / お星ほしさま / どこにいるのか / 人じん生せいを 掴つかみ損そこなう そんな時とき / ”生せい” / 僕ぼく自じ身しん / 平へい均きん / あせり / イチロー / 

文ぶん化か
文ぶん化か / 神かみ / 神しん秘ぴ / 読どく書しょ / ことわり / ことば / 言げん説せつ / アブチネムド人じん / 伝でん統とう / 芝しば居い / 力りき学がく系けいとは変へん遷せんである / ありありあれり


詩し集しゅう「傷きずつくは優やさしんだ」 (優やさしい愛あいの詩うた)は
姉し妹まいサイト「おかぎりの / 本ほん屋やさん (協きょう賛さん 藤ふじ田た商しょう店てん)」:詩し集しゅう「傷きずつくは優やさしんだ」(優やさしい愛あいの詩うた)にて販はん売ばい中ちゅうです。



    ・小しょう説せつ「さゆりさんへの手て紙がみ」

現げん在ざいぼちぼち執しっ筆ぴつ中ちゅう

執しっ筆ぴつ予よ定てい ・小しょう説せつ「だるまさん3部ぶ作さく」

「だるまさんがころんだ ―Return to Innocence」
「Tear ―DARUMASAN GA KOWARETA」
「Gaia ―だるまさんがやってきた」如きさら月ぎ小こ春はるに捧ささぐ

    ・随ずい想そう「新しん編ぺん 黒くろの宣せん言げん」

(テーマごとに編へん集しゅうしなおして断だん片ぺん的てき記き述じゅつを文ぶん章しょうにしたもの)



見てみて真似る やってみて真似る
      あさのおかぎり 真似る良い子は すくすく育つ

<ruby>慈<rt>じ</rt>愛<rt>あい</rt></ruby>に<ruby>満<rt>み</rt></ruby>ちたお<ruby>月<rt>つき</rt></ruby>さまが<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>をささやく

O K A G I R I / B O O K S T A N D

おかぎりの /  本ほん屋やさん  

さいもんの / あまがさまわれ  
おかぎりの / ひとりでごつん  
うんなが描(か)いた / 読書目録  
詩集「傷つくは 優しんだ」(優しい愛の詩)(ルビつき):おかぎりの / 本屋さん:(移転しました)  
おかぎりの / 本ほん屋やさん  
詩し集しゅう「傷きずつくは 優やさしんだ」(優やさしい詩うた・愛あいの詩うた・優やさしい愛あいの詩うた):うんなさんによる御ご本ほんの案あん内ない文ぶん   詩し集しゅう「傷きずつくは 優やさしんだ」(優やさしい詩うた・愛あいの詩うた・優やさしい愛あいの詩うた)の販はん売ばい   著ちょ者しゃ紹しょう介かい(岩いわ田た おかぎり)   Q & A お客きゃく様さまからよくいただくお問とい合あわせ   特とく定てい商しょう取とり引ひき法ほうに関かんする表ひょう記き、プライバシーポリシー   お問とい合あわせ  
おかぎりの / とにもかくにも     詩し集しゅう「傷きずつくは 優やさしんだ」(優やさしい詩うた・愛あいの詩うた・優やさしい愛あいの詩うた)の紹しょう介かい・作さく品ひん説せつ明めい   そのほかの作さく品ひん・公こう開かいした雑ざつ文ぶん   著ちょ者しゃ紹しょう介かい(岩いわ田た おかぎり)   新しん着ちゃく記き事じ 更こう新しん情じょう報ほうとかいわゆるニュースとか   新しん着ちゃく記き事じ 更こう新しん情じょう報ほうとかいわゆるニュースとか(2004年ねん分ぶん)   新しん着ちゃく記き事じ 更こう新しん情じょう報ほうとかいわゆるニュースとか(2005年ねん分ぶん)   お問とい合あわせ   2008年ねんの新しん年ねんのごあいさつ   中ちゅう三さん ・卒そつ業ぎょう文ぶん集しゅう「立りっ志しのとき(旧きゅう題だい 決けつ別べつの決けつと意い中ちゅうの意いで決けつ意い)」   高こう三さん ・部ぶ誌し投とう稿こう「自じ己こ紹しょう介かいという名なのラヴソング」   在ざい学がく中ちゅう ・「教きょう育いく現げん場ば」での問もん題だい―――「溝みぞ」というもの   在ざい学がく中ちゅう ・「Ⅱ章ど 学がく習しゅうの過か程てい」を読よんで―――授じゅ業ぎょう以い前ぜんに心こころ得えておくこととして   在ざい学がく中ちゅう ・ユングの向こう性せいとタイプ―――ユングの「タイプ」と「人じん格かくの形けい成せい」   在ざい学がく中ちゅう ・プロセスの自じ己こ診しん断だん―――この1年ねん間かんの教きょう職しょく科か目もく(7科か目もく)を振ふり返かえって   在ざい学がく中ちゅう ・僕ぼくの抱いだく理り想そうの教きょう師し像ぞう   在ざい学がく中ちゅう ・僕ぼくの考かんがえる「こころの教きょう育いく」   M2 ・ポスター発はっ表ぴょう「捕ほ食しょく者しゃ除じょ去きょ実じっ験けんにおける被ひ食しょく者しゃへの未み知ち種しゅの影えい響きょう」   2001年ねん(28歳さい) ・抜ばっ粋すい「Gods And Plays (神かみ々がみと芝しば居いについて)」   2004/11/05 米べい大だい統とう領りょう選せん挙きょ 2004 を終おえて―――選せん挙きょにからんでつらつらと政せい治じがらみ、ついでに先さきの先さきまで妄もう想そうしてみた   2005年ねんの新しん年ねんのごあいさつ   2005/01/14 1月つき後ごギャルはチョコを用よう意いしてくれたまえよ(地ち方ほうの時じ代だい)   2005/01/15 風かぜがふいたら遅ち刻こくして雨あめがふったらお休やすみで(郵ゆう政せい民みん営えい化か)   また入にゅう院いんしちまったぜい。とんだ災さい難なんだよな。   50億年後の未来  
おかぎりコムの / サイトマップ  
おかぎりの / とにもかくにも / サイトマップ  

さいもんさんの、ほんわかとやさしい愛あいに包つつまれた、すばらしき家か庭てい生せい活かつ  
さいもんさんの、ほんわかとやさしい愛あいに包つつまれた、すばらしき家か庭てい生せい活かつ   お約やく束そく   細こまかいお約やく束そく   貧まずしい人ひと々びとのために   中ちゅう東とうの平へい和わのために考かんがえた理り想そう  
クーラン(コーラン)からの引用  
藤ふじ田た書しょ店てん  
おすすめの詩し集しゅうはこれだ(詩集「傷つくは 優しんだ」(優しい愛の詩)(ルビつき))   アンチエイジングを科学する(寿命をのばす5つの方法 ー生命科学の最前線)   SEO(検索エンジン最適化)はこれだけ(SEOで検索エンジンもユーザーも味方に付けるホームページ改造術)   古文を味わいたいならこれだ(試験によく出る重要出典研究!! 土屋の古文100)   中学生が高校入試準備に英語を勉強するならこれだ(高校入試突破のための必須1300語)   小学生がはじめて英語を勉強するならこれだ(書いておぼえるはじめての英単語ピーナツ)   中原中也   「サーカス」(中原中也)   「春宵感懐」(中原中也)   「湖上」(中原中也)   「骨」(中原中也)   「雪の賦」(中原中也)   「汚れつちまつた悲しみに……」(中原中也)   「幻影」(中原中也)   「月夜の浜辺」(中原中也)   「一つのメルヘン」(中原中也)   「春日狂想」(中原中也)   佐藤春夫   「花のある杜」(佐藤春夫)   「水辺月夜の歌」(佐藤春夫)   「海辺の恋」(佐藤春夫)   「感傷肖像」(佐藤春夫)   「ためいき」(佐藤春夫)   「少年の日」(佐藤春夫)   「秋刀魚の歌」(佐藤春夫)   「浴泉消息」(佐藤春夫)   「しぐれに寄する抒情」(佐藤春夫)   「秋の女よ」(佐藤春夫)   「海の若者」(佐藤春夫)   「願ひ」(佐藤春夫)   「望郷五月歌」(佐藤春夫)   三好達治   「乳母車」(三好達治)   「雪」(三好達治)   「甃のうへ」(三好達治)   「湖水」(三好達治)   「僕は」(三好達治)   「一点鐘二点鐘」(三好達治)   「鴉」(三好達治)   室生犀星   「小景異情より」(室生犀星)   「寂しき春」(室生犀星)   「はる」(室生犀星)   「万人の孤独」(室生犀星)   「初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと」(室生犀星)   「切なき思ひぞ知る」(室生犀星)   「こほろぎのうた」(室生犀星)   「紙」(室生犀星)   「野をうしろに色どつて」(室生犀星)   「昨日いらつしつて下さい」(室生犀星)   「老いたるえびのうた」(室生犀星)   藤田書店がおすすめする本   Q & A お客きゃく様さまからよくいただくお問とい合あわせ   特とく定てい商しょう取とり引ひき法ほうに関かんする表ひょう記き、プライバシーポリシー   お問とい合あわせ